グリーフケアの基本|援助の注意点(論文の参考に)

シャボン玉と夕焼け

グリーフケアとは

悲嘆を癒やす作業

わが子や配偶者など最愛の人に先立たれたとき、人は大きな悲しみを感じ、長期にわたって心の傷を背負って生きていく。
こうした死別による悲しみを、英語では「グリーフ(grief=悲嘆)」と呼び、単なる悲しみと区別しています。それは、故人を取り戻すことのできない喪失感から生じるものです。

そのグリーフを癒やし、自ら立ち直っていくことを「グリーフワーク(grief work)」と呼びます。グリーフワークには、さまざまな定義がありますが、一般的には「近しい人を亡くした人が、その悲嘆を乗り越えようと努力し、死別に伴う苦痛や環境変化などを受け入れようとする作業」のことをいいます。
この〝作業〟を経ないと、死別という現実を受け入れられないほど心の傷は深くなっていくのです。

しかしながら、こうした作業を通して、人間的に成長していくともいわれています。

この一連のプロセス(過程)を支えて援助することが、「グリーフケア(grief care)」です。

手助けを受けにくい現状

このケアのあり方をめぐって、多くの専門家が指摘するのは、遺族が安心して悲しみを吐露できる環境を整えることの重要性です。

ところが、多くの人は「死」に対する忌避的反応から、どうしても腫れ物に触るような言動を取ってしまいがちです。

そうした態度は、かえって遺族の心を一層苦しめる結果になりかねないといいます。
悲嘆に暮れる人の心情を十分に理解し、傷ついた心が癒えるまで寄り添うような接し方が求められるのです。

今日、グリーフケアの問題が社会的に注目される背景には、核家族化や都市化が進む社会において、家族や親族、また近隣住民の支え合いの力が弱くなり、死別の悲しみから立ち直る手助けを受けにくい現状があります。
現代社会において、グリーフケアの必要性が一層叫ばれる所以です。

今回のテーマは「〝グリーフケア〟をめぐって」。
私たちは、最愛の人を失った家族が抱える悲しみをどう捉え、どのように寄り添っていけばよいのか。共に思案を巡らせたいと思います。

「3人称と死」と「2人称の死」

〝絆の強さ〟がもたらす葛藤


フランスの哲学者ジャンケレビッチが指摘しているように、「3人称の死(他人の死)」と「2人称の死(身近な者の死)」は根本的に異なります。
つまり、3人称の死では理解できたことが、2人称の死では、同じ「人の死」でありながら、全く違う捉え方がなされるからです。

これは、その人の思想や生き方の問題ではなく、血縁や人間関係といった〝絆の強さ〟がもたらすものです。
とりわけ、愛する者や家族などの死に直面した場合、頭では了解しているつもりでも、心と体がその事実を受け入れることを拒絶してしまい、そこに葛藤が生じます。

こうした複雑な感情を伴う〝悲嘆の状態〟は、「心が大ケガをしたような状態」と例えられますが、遺族はやがて故人のいない環境に適応し、新しい心理的・人間的な関係をつくっていくのです。

グリーフケアの目的

ここで確認しておきたいことは、グリーフワークが、悲しみをなくすことを目的とするものではないということです。

自ら息子を亡くした経験を持つ評論家の柳田邦男氏は、アルフォンス・デーケン氏(上智大学元名誉教授、「東京・生と死を考える会」元名誉会長)との編著『<突然の死>とグリーフケア』(春秋社)の中で「グリーフワークとは決して悲しみを抹消することを目標にしているものではない。(中略)消すことのできない悲しみや辛さをかかえながらも、生きようとする意思がしっかりと自分をコントロールできるようにする作業なのだ」と指摘しています。

グリーフワークを経ることで、人は人間的な成長を遂げていくということです。

悲嘆のプロセス

悲しみの表れ方

近親者との死別後、遺された者がどのような「グリーフワーク」を経るのかについては、さまざまなモデルが提唱されています(コラム① A・デーケンの提唱理論)。
しかし、その内容は、全体的な悲嘆反応を理解するための大雑把な指針に過ぎず、また、それらの段階は多分に重なっており、個人差もあるため、厳密に区分して定義できるものではありません。

これは、人それぞれのやり方でしか死別の悲しみは受け入れられないことを意味しています。

先の柳田氏は「(死別後の悲しみは)遺された個々人の生き方、価値観、周囲の人々との関係性などに深くかかわる問題であるため、極めて個別性が高い」として、「死別の原因が、事故・災害なのか、犯罪被害なのか、自殺なのか、病気なのか」によっても大きく変わってくると解説しています(コラム② 犯罪被害のケース)。

この個別性について詳しく研究しているのは、自らもわが子を亡くし、子どもを亡くした親の会「ちいさな風の会」の世話人を務める若林一美氏(元立教女学院短期大学学長)です。
著書『死別の悲しみを超えて』(岩波現代文庫)の中で若林氏は、「悲しみにはいろいろなあらわれ方がある」ことにふれています。

具体的には、「悲しみは、周囲の人たちの納得のいくような現れ方をするとは限らない」として、「悲しみは一般的に考えられるような、涙や弱々しさ、たよりなさそうな姿として目にうつるだけでなく、時にはとても悲しんでいる人とは見えぬような言動となって表われ、周囲を驚かすことがある。遺族や被災者が、悲しいことがあったことなど微塵も感じさせず、てきぱきと仕事をし、快活に動きまわったりすることもある。また、彼らのなかには攻撃性や怒りっぽさを露わにするなど、とても悲嘆にくれている人とは思えないような行動を見せることもあるが、それも悲しみの表われ方の多様な一面なのだ」と。

故人の〝居場所〟をつくる

このように、個人によって独自のプロセスを経て、それぞれに立ち直っていくわけですが、一般に「グリーフワーク」の重要なところは、そのプロセスに必ず苦しみを伴うという点を押さえておきたいと思います。

多くの専門家の間で共通している見解としては、苦しみを感じずにプロセスを経過することはあり得ず、そうした経験こそ、当事者の人間的成長や自立を促すことになるということがいわれています。

アメリカの心理学者ウォーデン氏は、遺族が取り組むべき課題の一つとして「死者を情緒的に再配置し、生活を続ける」という点を挙げています。
この「情緒的に再配置」するとは、故人のことを忘れるのではなく、故人の新しい〝居場所〟を心の中につくること、見いだすことであるといいます。

坂口幸弘・関西学院大学教授は、これを言い換えて、「故人を自分の人生における大切な存在として、うまく持ち続けることである」と解釈しています。
たとえば、亡くなった人を思い浮かべ、相談相手として話しかけたり、自分の考え方や行動のモデルにしたりすることが、その例として挙げられます。
特に日本人の場合、生者と死者の境界線があいまいな精神文化を背景としているため、こうした過程を通して、故人との絆を自然な形で維持しつつ、故人の〝居場所〟を心の中につくっていく傾向が強いと述べています。

〝病的な悲嘆〟

心の病を引き起こすことも

上述したような悲しみの表出は、ごく自然な姿であることを、まず認識しておきたいと思います。

『遺族』の著書がある、死別研究で知られるC・M・パークス氏は「さまざまな異常行動を、非常に病的であると決めつけることはできない」「むしろそういう感情面や行動面での異常を、受けとめつつ援助する支えが必要とされる」(Colin Murray Parkes,Bereavement 1972)として、すでに50年ほど前に「グリーフケア」の重要性に言及しています。

先の若林氏が著書の中で示すように、遺族の中には、悲嘆の感情を抑圧し過ぎたり、他人に対する怒りなどが積み重なったりして、人間関係が正常に営めなくなる人が少なくないといいます。
その場合、〝心の病〟などの二次的な病気を引き起こすケースもあり、こうした面での適切な援助が必要となるのです。

早期の発見・治療が必要

ここで注意したい点は、多くの死別者が、およそ1年で悲嘆を通り抜けるとされるのに対し、そうでない場合があるということです。
先のパークス氏は、死後1年以上経過しても、重篤な抑うつ状態が続く人が11㌫いることを指摘しています。
その原因は、「グリーフワーク」がスムーズに行われなかったことにあるといいます。

これは〝病的な悲嘆〟(慢性悲嘆)と呼ばれるものです。

近親者の死別後、表れるはずの正常な悲嘆の反応が表れず、何事もなかったかのように振る舞ったり、死を受け入れているように見えたりする人がいます。
しかし、これは悲嘆の感情を抑えているだけで、のちに増幅して一気に表れてくるケースがあるというのです。

パークス氏は、こうした状態を「化膿したケガのよう」と表現しており、「早期の発見・治療が必要だ」と述べています(コラム③ 二次的な病気)。
これは、臨床の見地からも指摘されるところです。

自ら息子を亡くし、長きにわたって「死別の悲しみ」について研究・カウンセリングを続けてきたアメリカの臨床心理学者キャサリン・M・サンダース氏は「大きな悲しみを体験した後、肉体的な病気にかかったり、感情の激しい動きに悩まされたりするのはよくあることです。妻に先立たれた夫の死亡率、とくに死別後、最初の2年間におけるその率が目立って高くなっていることは、いくつもの調査で明らかにされています」(著書『死別の悲しみを癒すアドバイスブック――家族を亡くしたあなたに』筑摩書房より引用)と記しています。

ある統計では、配偶者と死別した女性は平均余命が6カ月短くなり、配偶者と死別した男性はさらに影響が大きく、平均余命が1年半短くなるそうです。また、子供と死別した親は、そうでない親と比べて平均余命が短く、孫と死別した祖父母の場合も然りであるといわれます。

遺族の心理

人生における危機的出来事

遺族の心理や悲しみに関する理解が進んだのは、近年になってのことです。
エール大学のユージェン・パイケル氏とブリゲット・プルソフ氏、シカゴ・プリッカー医科大学のE・H・ウーレンクス氏は、人生における危機的出来事の上位五つを次のように整理しています。

(1)子供の死
(2)配偶者の死
(3)投獄
(4)家族の死
(5)配偶者の不貞

子供を失った親の場合


一般的に、最も精神的苦痛を感じるといわれるのが「子供の死」です。

さらに、キャサリン氏によれば、自殺や事故、犯罪被害のような「突然死」の場合、「ある程度予想できた場合と比べてショックも大きく、その結果引き起こされる身体的な問題も大きくなる」といいます。

また、子供を亡くした親への援助のあり方に言及している若林氏は、自らの経験をもとに、遺族の心理について「当事者である親は、死亡原因に関わりなく、わが子の死によって、自らを社会に顔向けができない存在であるかのような感じ方をしている」としています。

その理由として、周囲の者が「生死に関わることは、軽々しく口にするべきことではない」「わかるはずもないから」などと〝死を拒絶〟し、遺族を遠ざける傾向が強いことを挙げています。

そして「死別は恥ずかしいことでも、ましてや隠すべきことでもないにもかかわらず、遺族は社会生活のあらゆる場面で、居心地の悪さを感じて暮らしている」として、特に日本社会は「悲しみや涙を自由に表出できない社会」であると指摘します。

つまり、「死の悲しみを背負った人は、この社会のなかに居場所がないと感じている」というのです。

特に子供を失った家族は、周囲の気づかいによって、かえってサポートを得にくくなるばかりか、家族同士(特に夫婦)が支え合うことができず、家庭が崩壊する危機に直面することがあるといわれます。

つまり、「わが子の死を体験した親たちは、家族の中で、『その亡くなった子の父であり、母である』という役割を失う」からであり、「父と母――子どもを亡くした悲しみは同じであるはずなのに、二人の間で思い出を語り合い、悲しみを認め合うことは、容易ではない。男と女の違い、というよりはむしろ、亡き子に対して夫と妻の間の距離や角度が微妙に変化する。そして(相手が)同じように悲しまないことに不満を感じたりする」と説明している。そして「夫婦関係がきしみ始める原因は、かならずしも愛情が少ないからではない。お互いを大切に思うからこそ、表現できず、かえってそのことで傷つけ合ってしまうこともある。自分のことで精一杯で、近すぎるが故に、相手が見えなくなってしまうこともある」といいます。

こうして「夫婦としてのアイデンティティーが問い直され始める。そして、なかには自己の存在理由と、『夫婦』という他者との最小単位の関係のあり方が同時にゆさぶられるストレスに耐え切れず、離婚にふみきる人もいる」と、家族の崩壊につながる危険性を指摘します。

若林氏は、夫婦が支え合っていくためにも、まずは心の傷を癒やす場として、子供を失った者同士が集まる自助グループへの参加を勧めています。

それは「心の中に、ちょうど蜘蛛の巣のほつれのようなものを抱えた人が集まり、手をつなぐようにして、ほつれをなおしていくようなものである」といいます。

「死の教育」の第一人者であるミネソタ大学のロバート・フルトン教授は「子どもを失った母の苦しみは強いものであるが、遺された子どもへの影響などもふくめて、お互い(夫婦)同士が支え合うことが大切である」と、まずは夫婦が寄り添うことの重要性を指摘している点は興味深いといえましょう。

ケアに当たる者の心構え

言葉の使い方一つに注意

多くの専門家が指摘するように、「グリーフケア」の基本的な考え方は、悲嘆の表現として現れるさまざまな感情や行動などを、〝正常〟な反応として理解し、受けとめることにあります。

先の若林氏の指摘は、周囲の人の無理解もあって、そうした感情を吐き出すことができず、殻に閉じこもる遺族が少なくない現実を指し示しています。

かといって、むやみに遺族を励ましたり、なんとか手助けしようとしたりことにも注意が必要だといいます。

A・デーケン氏は「言葉の遣い方ひとつでも、相手を助けるどころか、かえって癒やしがたい傷を与えてしまうことが少なくありません」と注意を促しています(コラム④ コミュニケーションの妨げとなるような言葉の一例)。

遺族への「憐れみ」は厳禁

では、私たちは、どのような心構えや態度で「グリーフケア」に臨めばいいのでしょうか。

善意の第3者は、しばしば「憐れみ」をもって遺族に接します。
特に、嘆き悲しむ者に対して「かわいそうに」と思って接しがちになります。

しかし、これは悲嘆の状態にある者から、しばしば敵意をもって受けとめられることがあります。
あるいは、敵意を表明しなくても、遺族は自分の悲嘆を理解してもらえないと孤独を深め、内に引きこもってしまうこともあるといいます。

こうした言動について、パークス氏は「一人前に扱っていない証拠」と断じる。そして、遺族が体験している喪失による悲嘆が、愛していれば誰もが体験することであるという、人間としての深い共感に基づく連帯こそが援助者に求められる、と呼びかけています。

「聞く」ことが助けの原則

援助する際の注意点として、精神科医の小西聖子氏(武蔵野大学心理臨床センター長)は「(相手の話を聞く際)ついつい注釈を入れてしまったり、そんなことはないわよって打ち消してしまったりしますが、そうすると感情の表出は妨げられてしまう。そういうことなしに、自分のペースで話したいように話すという場所を保証してあげることが大事です。逆に言うと、そういう場所を保証し、『聞く』というだけで、何もできなくても充分助けになるのです。それが原則です」と述べています。

そのうえで「私たちはどうしてもサポートしていると、『お助けします』という感じになってしまって、何か相談を受けた時には、『こちらのほうがいいですよ』などと指導しがちですが、基本的にそういうやり方で助けてしまうと、セルフ・コントロールの感覚をまた遠ざけてしまうことになるのです。そうではなく、自分のことは自分で決めるという力を回復させること、そして彼らが能動的になるのを援助するということが必要なのです」と、援助者の心構えを述べています。

悲しみに暮れる遺族に対し、私たちにできることはどんなことであるのでしょうか。
また、どのように寄り添っていけばよいでしょうか。
皆さんとともに、考え続けていきたいと思います。

みはまクラブでは随時、子育てに関する相談も受け付けています。
相談は無料。親身に悩みに寄り添って、より豊かな生活を送るための応援をさせていただきます。

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当クラブの各種教室にご興味があられる方は、その旨もご記入願います。

【コラム①】A・デーケンの提唱理論

アルフォンス・デーケン氏(上智大学元名誉教授、「東京・生と死を考える会」元名誉会長)によると、愛する人を失った人は、次の12の段階をたどって立ち直っていくといいます。

(1)精神的打撃と麻痺状態
(2)否認
(3)パニック
(4)怒りと不当惑
(5)敵意とルサンチマン(うらみ)
(6)罪意識
(7)空想形成 幻想
(8)孤独感と抑うつ
(9)精神的混乱とアバン(無関心)
(10)あきらめ 受容
(11)新しい希望 ユーモアと笑いの再発見
(12)立ち直りの段階

【コラム②】犯罪被害のケース

具体的な事例を見ていくと、なかでも犯罪被害で最愛の人を失った家族の中には、やり場のない怒りを感じて、心の病を引き起こすケースが多いといいます。

これについては、精神科医である小西聖子氏(武蔵野大学心理臨床センター長)の著書『<突然の死>とグリーフケア』に詳しい掲載されています。

その中で、小西氏は「(犯罪被害を受けた家族は)あまりにもショックが大きすぎたために、とりあえず感情を切り離してやっと自分を保っているという状態なのです。専門用語で言えば、dissociation(解離)が最初に起こっている」とし、そうした状態がPTSD(心的外傷後ストレス障害)を引き起こす原因となっていると指摘しています。

【コラム③】2次的な病気

死別によってさまざまな身体症状が現れるが、なかでも多いのが「反応性うつ病」と「神経症性うつ病」です。

しかし、死別後3カ月で35㌫、4カ月で25㌫、1年後には17㌫と、時間の経過とともに減少していきます。

【コラム④】コミュニケーションの妨げとなるような言葉の一例

アルフォンス・デーケン氏は、コミュニケーションの妨げとなるような言葉の一例(その理由)を次のように挙げています(『<突然の死>とグリーフケア』P80~83参照)。

(1)「がんばろう」
(口先だけの励ましでしかなく、言われたほうは、もっと落ち込む)

(2)「泣いてはだめ!」
(涙を流すほうが人間として自然なのだということを理解させて、安心して泣けるような状態にすることも大切である)

(3)「早く元気になってね!」
(早く立ち直りたくてもどうにもならないときに、さらにプレッシャーをかけるような言葉は使うべきではない)

(4)「私にはあなたの苦しみがよく理解できる」
(何も失っていない人に私の苦しみがわかるはずはないと、反発される)

(5)「時がすべてを癒やすから大丈夫!」
(喪失の悲嘆というのは、そう簡単に癒えるものではない)

虹と音譜が可愛いイラスト

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